2012年10月28日日曜日

ピクルス通信no.177 中原さん

イノダコーヒー、小川珈琲ほど全国的な知名度は高くないものの、タナカコーヒーもまた、京都市民に愛されるチェーン系喫茶店のひとつ。

サイフォンで淹れるすっきり苦みたつブレンドコーヒーを求め、毎日のように通う人達がいることを、学生時代に今出川店でアルバイトをしていた私は知っている。



河原町店の扉を開くと、その人は会計を済ませるお客さんと一言二言を交わしているところだった。

鈍めにかがやくスキンヘッド。短くたくわえたあご髭。制服のシャツとエプロンの下にのぞく自前の黒いパンツとブーツは、チェーン店規格から外れる風変わりなシルエット。

私と一回りと少し離れているからもう40を越えてらっしゃるはずだが、年齢を感じさせない若々しさ。以前お会いしたときよりもさらに身体を引き締めておられる。かっこいい。

中原さん、という。



「ルワンダ・ムショニあたりでもいっぱつ行こか?」

おすすめレコードを「試聴してみいひん?」と薦めるような軽やかな口ぶりで注文を促してくれた。

クオリティの高い地域別コーヒー豆を扱っているのは河原町店独自のサービス。

コーヒーの淹れ方がどれだけ多様化しても、サイフォンで淹れる(点てる、といった方が雰囲気に合うだろうか)動作が、もっとも素人とは縁遠い秘術的抽出法であることを、中原さんの手つきが思い知らせてくれる。

口にしたルワンダ・ムショニは、コーヒーを知って間もない小僧では驚くであろう、独特の香味と酸味がいとおもしろし。450円。

メニューには彼の発案による小倉トーストも数種並んでいる。京都人の口を喜ばし、また、愛知にゆかりのある人が懐かしさに顔をほころばすという。ホットサンドにアレンジした小倉トーストなんぞ、さて名古屋でも見受けられるかどうか。

訪れたのはちょうどモーニングサービスの時間が終わる頃。彼はモーニング用のメニュー表を手際良くテーブルから抜いて回る。そのリズミカルな所作。

長いこと同じ仕事に従事している(尋ねると14年間無遅刻無欠勤だそうだ。14年間無遅刻無欠勤!14年間無遅刻無欠勤!)人の常で、彼の仕事ぶりの中にも彼独特のリズムが貫かれているのが、間断なく伺える。

パリのギャルソンの姿を見たことはないが、もし日本人が旅先で彼らの仕事振りに惚れ惚れするとしたら、同じ感慨を私はこの人に見ているはずだ。

電話が鳴る。

近くの先斗町歌舞練場から出前の注文だ。

水明会(妓芸発表会)が近くに控えているため、芸舞妓さんやお師匠さんからの注文が毎日何度も入る。

「楽屋からまわったほうがエエな、、、」

ホットコーヒーを水筒に容れ、ソーダ水の飲み口をラップで覆い、いくつものカップをバランスよくトレーに配置し、左脇にそれを固定し急ぎ早に店を飛び出ていく。

帰ってきた中原さんを待ち構えてたかのようにカウンターの客が声をかける。

「なかはらくんの血圧を沸騰させるもん持ってきたで」

スポーツ誌を差出す常連客。長年カウンターに立つ人の話の受け方を見習いたいと私は常々思う。

柔軟に、愛想良く、気負い無く、懐は広く。

「これ僕が生で観てた試合やないですか、あんときは確か、、、、」

また出前の電話だ。



中原さんはレコードコレクター。

実は、お互い共通の知り合いであるタナカコーヒーのスタッフから紹介される以前に、WORKSHOP recordsの店頭で店主苗村さんと彼がレコード談義をしているのを何度か見かけていた。紹介された時は驚いたものだ。「あのマニア談義の張本人さんでしたか!」。

今回は事前に訪問の旨を伝えていたことで、所蔵するCDを私のお土産となるよう用意してくれていた。

オリジナル盤のレコードやリマスター盤のCDなどを買い直したため重複するに至った品々を後進に分け与えるのが彼のモットー。

「売ることは誰にでもできるからね」

痺れる。

いただいたのはThe Intruders『Super Hits』、The Isley Brothers『This Old Heart Of Mine』、The Temptations『Masterpiece』、Edwin Starr『War & Peace』、Archie Bell & The Drells『Tighten Up』、同『There's Gonna Be A Showdown 』 、The Jacksons『The Jacksons』の計7枚。


スーパー・ヒッツ(紙ジャケット仕様)
The Intruders / Super Hits

なかでもイントゥルーダーズの一枚を毎日のように聴いている。

70年代に花開くフィラデルフィア・サウンドの立役者、ケニー・ギャンブル=レオン・ハフ両人が、60年代後半に自身のレーベルから送り出したグループ。

“フィリー・ソウルの幕開け”とでもいえそうな、ちょっぴり青臭くも瑞々しさに溢れたサウンド”(ソウル・ロマンチカ『70年代ソウル』評)がたっぷりと多幸感をもたらす。

流麗なコーラスと、リードシンガーの「投げやり風な歌い方」(鈴木啓志『R&B.ソウルの世界』評)とがぶつかる異化効果も味わい深い。

野暮と洗練の狭間をただよう感じが得難いように思う。




中原さんはせんだって名古屋にレコード掘りに訪れており、京都とは違った収穫もあり面白かったと仰っていた。

「必ずやまた行くよ、名古屋」とも。

その機会にはMusicFirstにお立ち寄りくださることを、スタッフの皆さんになりかわってお待ち申し上げる。

私としても、うまい小倉トーストを出す喫茶店の用意はできている。


若竹純司(客)

2012年10月25日木曜日

高須クリニックのCM

高須クリニックスッピンCM 院長の一日篇というテレビコマーシャルを見て驚きました。
握りずしを丼に適当に移しお茶をかけて食べるという内容でよく分からなくて
とても面白かったです。
YOUTUBEにアップされていますがテレビでも頻繁にながして欲しいなと思いました。



りょうかん

2012年10月23日火曜日

商品入れ替え

今日は、店頭の古い商品を引っ込めて
作りためてた新入荷商品を大量に出しました。
いろんなジャンルを出しましたが、ジャズが特に多めです。

長谷川

2012年10月21日日曜日

ピクルス通信no.176 彼岸

ライブが終わりバス停「上賀茂神社前」で並んでいると見覚えのあるお顔。

音楽学者の岡田暁生先生だ(NHK番組「scola 坂本龍一 音楽の学校」に出演しているのを見た人も多いことだろう)。

同行の学生か友人かと語らっているを盗み聞き。

「究極の省エネなのでしょうね」

仰りながら宙に浮ぶ鍵盤を弾く仕草。

いま聴いたばかりのランディ・ウェストンのピアノ奏法を評した言葉だと思われる。

御年86歳ながら身の丈2mを越す巨体が鳴らすピアノの音は、短絡的に「圧倒的な重量感」という言葉が口からこぼれそうになるが、とんでもない。むしろ音が羽にのって昇っていくような感じ。「鳴りの良さ」なのであろう。岡田先生の言葉はそこを突いている。

鶴賀信高さん(私が学生時代に所属していたジャズ研究会の後輩で、いまは関西で活躍の場を広げるベーシスト)も自身のブログにおいて、ランディのピアノ奏法の神髄を覗いている。

ベーゼンドルファーのフルコンサートで(中略)小さな音で余韻を残す弾き方が出来るのは、クラシックの世界も含めて全世界探してもいない。らしい」。ベーゼンドルファーを使用するピアニスト一覧

音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉 (中公新書)

岡田先生が吉田秀和賞を受賞した『音楽の聴き方』(中公新書)はほとんどクラシック音楽に限って筆が進められているのだが、あとがきに「本書の執筆をしていた数ヶ月間、朝から晩までモダン・ジャズばかりを聴き続けていた」とある。

南アフリカのピアニスト、ダラー・ブランドへの賞賛も見える。

「私がそれまで知っていたブルーノート系のモダンジャズとはまったく性格の違うもので、赤茶けた大地を連想させる荒々しいタッチとアラブ風の旋法、にも関わらず全曲を貫いている透明な抒情感、そして40分近く延々と続けられる執拗なオスティナートの呪詛に取り憑かれてしまい、しばらくの間、目が覚めているときはずっと耳の中で唸り続けていたのを覚えている。音楽が自分の身体に乗り移ってくるあの黒魔術のような感覚は、初めてストラヴィンスキーの《春の祭典》を聴いたときなどにも通じるものであった」

ダラー・ブランドはイスラム教に改宗して アブドゥーラ・イブラヒムと名乗っており、彼もまた、この日ランディ・ウェストンとビリー・ハーパー(ts)のデュオ・ライブが行われた上賀茂神社・庁ノ社において、2003年以降3度のライブを行っている(ランディ・ウェストンは今回が4度目となる)。

いずれも賀茂川と高野川とが合流し鴨川となる中州をのぞむ、京都・出町柳駅前にあるジャズ喫茶、LUSH LIFEが主催するライブだ。

岡田先生は京都大学にお勤めである境遇を幸運とせねばならない。

アブドゥーラ、ランディが再びかの地でライブを行う可能性は十分にあるのだし、音楽との関わり方を根本から揺さぶる体験をもたらす一喫茶店が身近にあることを。(『ジャズの聴き方 〜筋金クラシック・リスナーからの転向〜』といった本でも出してくれないだろうか)

さきのアブドゥーラ評は次のように続く。
「それを前にどういう言葉を口にすればいいか途方にくれるような音楽、手垢がついた既成の言葉を一度無効にしてしまって、ゼロから「音楽を語る言葉」を鍛え直すことを求めてくる種類の音楽」。
ランディ・ウェストンの音楽も我々に同じ感慨を要求する。

スウィング、グルーヴィー、ファンキーといった通常ジャズを形容する言葉が全く用をなさない。困ったことにも。嬉しいことにも。

福島剛さん(私が学生時代に所属していたジャズ研究会の先輩で、東京でプロ活動をするピアニスト)も自身のブログで同じような心情を吐露している。


「一言で言ってしまえば、それは私の理解の範疇を越えていた。目の前で行われている音楽儀式は全て私のボキャブラリーの中には無いものであったし、またピアノからは聴いた事がない程に荘厳で美しい音が奏でられていた。何だこれは!という感覚と共に圧倒され続けた。そしてRandy Westonの音楽が持つ圧倒的なパワーは、私を徐々に解体したのだ。 
私にも理想とする音の形がある。Randy Westonの音楽を間近に体験するその直前までも「これこそが美しい理想の音なのだ」という感覚があった。それは記憶の集積である。これまでの「音による感動体験」を総合していった結果、ぼんやりとではあるが「このような音が良い」という価値判断が形成されていった。そこに、まるで異質な美しさが介入した。比類なきほどに圧倒的なパワーを湛えて。 
その結果として、私の価値基準は容易く崩壊した。奇妙な違和感はやがて明確な感動へと変わった。Randy Westonの音楽を体験するという事は、畢竟私にとっては自己の再構築をするという事なのだ。」


『音楽の聴き方』はジャンルを問わず音楽を聴く喜びを知る多くの人に読まれてしかるべき。

述べられる核心は《「音楽の聴き方」とは「音楽の語り方」を知ることにほかならない》ということだが、一方では素晴らしい音楽に出会ったときの「言葉にならない感じ」「語れなさ」を丁寧に述べてくれる本でもある。

「法外な体験を言葉にするのは本当に難しい。なぜなら芸術がもたらす戦慄は、あらゆるエクスタシー経験の常として、本質において極めて身体的なものだから。それを自分と共有している人との間では、言葉一つでコミュニケーションが成り立つ。場合によってはうなづき合うだけでいい。」
 うむ、うなづき合うだけでいい。
「音楽は視なければ分からない。録音で音楽を聴くことになれている私たちは、身体は現前していないのに音だけが響いてくる異様さを忘れがちだ。しかし本来音楽とは生身の人間の身体から発せられるものであって、耳で聴くだけの音楽はどうしても全身で同調することが難しい。」 
全身での同調。聴いた、のではない。体感、だ。個人によるライブ感想が、演奏の客観的な描写でなく、もっぱら自らを包んだ身体的な感動に終始してしまうのも、当然のことなのかもしれない。
「場を楽しむ。音楽は必ず何らかの「場」で鳴り響く。音楽との最も幸せな出会いは、「音楽」と「私」と「場」とがぴったり調和したと思える瞬間の中にある。あまり音楽だけを取り出して、グルメ・ガイドよろしく品評することはしたくない。」
「思うに最も幸福な瞬間にあっては、音楽それ自体の素晴らしさはもはや意識に上ってこない。音楽は一つの場に消滅する。そんなとき私たちは、音楽それ自体を聴いているのではなく、音楽の中に場の鼓動を聴いているのだ。まさにそういう稀有な体験と出会うためにこそ、音楽を聴く意味はある。」
「音楽」と「私」と「場」の調和。音楽それ自体を聴いているのではなく、音楽の中に場の鼓動を聴く。

まさに。私が今回のライブで体感したのも、日常とは異なった彼岸のなにかであった。

《まとめ》

「ランディ・ウェストンのライブ、めっちゃ良かったです!」


若竹純司

2012年10月18日木曜日

入荷情報

最近はネオアコ、ニューウェーブなどのレコードを結構出しています。




りょうかん

2012年10月14日日曜日

ピクルス通信no.175 超食

行き着くところ、朝食なのだ。

どれだけ朝食を食べるのか、何を食べるのか。

それが一日の馬力を決する。

今日も仕事、七人の敵、プライベート、ディベートが待ち構えている。

立ち向かうために必要なのは?

そう、エネルギーすななち(噛んじゃったw)朝食である。

朝食を抜く、朝食を抜くなど、問題外。おととい(の夕飯抜いて)来やがれ、だ。

一日の積み重ねが人生である。ならば?

さよう、朝食を制すものが人生を制す!



なにかと試しているこの頃。

試1)前日に高級感のあるパン屋で好みの品を2、3買う。一夜明ければ、賞味期限はぎりぎりのところ。食べずにいるのはもったいない。高かったものね。

結果)美味しい。が、いかんせんゼニがかかるよってに。それに高級感のあるパン屋に行くのが面倒。3日で終了。

試2)前日の夜にチキン抜きのケチャップピラフを作っておく。我が家で「赤いチャーハン」と呼ぶもの。思想は持っていない。具は玉葱、ハム(ベーコンでも可)。隠し味に砂糖を少々。

試3)前日の夜にカレーピラフを作っておく。なんでもイチローは朝昼兼用でカレーを食すとか。だから。具は玉葱、ハム(ベーコンでも可)。思いつきでミニトマトとか。

結果)試2も試3も1日、2日はよかった。前者はほどよい甘味が、後者はスパイシーさが食欲を進めた。腹持ちも優れていた。ただし、続けて毎日となると飽きるのよね。カレーピラフにトマトがよくマッチすることが分かったのを収穫としよう。

試4)「東南アジアはお粥がスタンダードじゃん?」という友人の言葉を真に受けてみる。朝、お粥を作るのは面倒だからレトルトのものを購入した(鮭のほぐし身が入ったもの)。

結果)まずかった。レトルトはいけない。それ以前の話、朝食に熱いものは私には向かない。余裕を持って起床していないので、ふーふーさますのに気をとられバスを一本逃すことになりかねない。朝食に一日のスタートを左右されてたまるか。

試5)ミルクがけのシリアル。ケロッグのコーンフレークとチョコクリスピーとを交互に。腹持ちが良くないから、ウィンナーを5、6本、バナナ1本、ヨーグルトも追加。つまりは物量作戦だ。

結果)たくさん食べればよい、という妥当な着地点。ひとひねりもないシリアルという選択。ちっちっちっ。なぜシリアルか。それを食べるにはバリバリ噛み砕かねばならない。バリバリという音は頭蓋骨まで響く。実に響く。頭蓋骨に響く音→脳への刺激→目覚まし効果。ね?とてつもなく科学的。

朝食完全ガイド (100%ムックシリーズ)


『朝食完全ガイド』(晋遊舎)なるムック本を見かけた。

食パン、バター、ジャム、ハム、ヨーグルト、野菜ジュースなどの朝食まわりをランキング検証している。おすすめ調理方法もプロがアドバイス。

ファミレスやファーストフード店のモーニングサービスへの覆面取材を敢行。

素晴らしい企画だ。

皆さんもおすすめの朝食ライフがあれば是非教えていただきたい。


Sonny Clark Trio (アナログ盤/BLUENOTE プレミアム復刻シリーズ) [Analog]
Sonny Clark Trio 
朝と聞いて真っ先に思いつくのは『Sonny Clark Trio』に収録される《Softly As In A  Morning Sunrise (邦題:朝日のようにさわやかに)》だ。

美しいかげりに満ちた名演奏である。ソニー・クラークの奏でるフレーズを諳んじれるほどよく聴いたものだ。が、この曲を聴いてついぞさわやかな気持ちになったことがない。

朝感がない。

同じアルバムに収録されている《I Didn't Know What Time It Was(邦題:時さえ忘れて)》はひょっとしたら気の利いたツッコミなのかもしれない。

Awakening
The Ahmad Jamal Trio // The Awakening 

朝感あり。

アルバムのタイトルにもなっている冒頭曲《The Awakening》。

これは訳すと「目覚め」。「覚醒」とも訳すことが出来るか。

おう。いいじゃないか、覚醒で。ヘイ、目覚めようぜ、ヘイ。

アーマッド・ジャマルの作品で最も人気のあるのは1958年に発表された『But Not For Me』であろう。「間」を存分に活かした演奏として真っ先に挙げられる一枚だ。

60年代以降、徐々にアグレッシブなピアノスタイルへと変化し、1970年に発表された本作でもメロディ、リズム、ハーモニーの清新さで聴くものを刺激する(アントニオ・カルロス・ジョビンの名曲《Wave》に対する、比類なき斬新なアレンジ!)。

一聴して音数は多い。

しかし本質は変わっていない。

ブロックコード一発で景色を一変させ、フレーズの断片はあまたのメロディ展開の選択肢を想起させる。ジャマルは「私の頭の中には1000のメロディが入っている」とのたもうたらしいが誰も異議は唱えまい。

「これだよ、少ない音数で多くの音楽を聴くものに与える。まさに“less is more”なんだよ!」。

本田直之の読者はそう叫ぶかもしれない。

実のところ、朝食の一件も彼の思考に負っている。

若竹純司

(追記10月17日:いや、本田氏の本に書いてあったわけではなく、彼が紹介していた本に書いてあったような、、、思い出せません。適当なことを言ってすみませんでした。)

2012年10月11日木曜日

REGGAE 45 SOUND SYSTEM

SOUL JAZZ レーベルが11月ごろにレゲエ7inchの本を出すそうです。

好きなレゲエリイシューレーベルのBLOOD & FIRE のSTEVE BARROWとSTUART BAKER
が担当していてとても楽しみです。


1000タイトル越えの掲載だそうでとても充実した内容になってそうです。





りょうかん

2012年10月8日月曜日

ピクルス通信no.174 ヨセでサゲて

はじめ亭しげた(重田牧子さん)の導きにより落語初体験と寄席初体験を同時に済ませてね、とレコード漁りの指を休めることなく844(ハシシ)が口角泡を飛ばす。

先を越された。

もう何年も枕のお伴に落語CDを欠かすことは一夜としてない私だが、寄席には行ったことがない。

出し惜しみとは無縁の844。牧子さんがととのえる10月のイベント「橘家文左衛門 独演会」を案内してくれた。

この機会を逃してはなるまい。

橘家文左衛門とは誰か。

wikipediaで探ってみると林家彦六(8代目正藏)の孫弟子に当たるという。

彦六はさらりとした表情でかすめる脱臼味あふれるギャグ(くすぐり、って言うのかな)が粋で、私がよく聞いている落語家のひとり。その孫弟子とあっては、胸の鼓動も早打つ。

が、もう少し肌感覚の情報も欲しい。

学生時代の友人で、昨今のブームが始まる前から落語に入れ揚げていたスミスにメールでたずねてみた。

「僕は上方(大阪・京都)のことならそこそこ知っているけれど東に関しては疎いのよ」と断りながらも素早いレスポンスが返ってきた。

文左衛門アニキは落語家には珍しく「オラオラ」系だよー。「大工の熊」的な荒っぽい人のでてくる噺は若手で随一と言われています。入船低扇辰と柳家小せんと三人で、「さんけいしんぶんしゃ」っていうバンド組んで音楽活動にも勤しんでおられます。我らの柳家喬太郎(キョンキョン)とは仲が良いらしく、よくマクラで出てきますよー。ちなみに、入門は文左衛門の方が先なんでキョンキョンは「兄さん」と呼んでいますが、キョンキョンは14〜15人抜きで真打昇進してますから、真打としてはキョンキョンの方が先輩という微妙な関係です。

ほうほう。そうそう、「真打」ってよく耳にするけど、いったいなんですの?

基本的に入門から15年前後で余程ひどくない限り真打になれる。真打になると、他の人から「師匠」と呼んでもらえます(弟子がいなくても)。また、東京の寄席(鈴本演芸場とか浅草演芸ホールとか池袋演芸場とか)のトリを取れるようになります。実力のある人はもっと早く昇進できる。例えばキョンキョンは10年くらいで真打になってるし、春風亭小朝もそれくらいで真打になってるよー。ちなみに上方には真打制度はありません。

あいわかった。キョンキョンの腕前もわかった。

ともあれ、本日は橘家である。



会場となるのはナディアパークの7階第一スタジオ。

木戸銭2900円を払って開演5分前に滑り込むと、定員90人/104㎡の会場に70人ほどの落語ファンが会場前方に特設された高座をじっと見据えて橘家の登場を待っていた。

ほどなくして出囃子『三下りかっこ』。

牧子さんの夫で「名古屋が誇るハウスパーティー“wideloop”を十数年にわたって主催しているハウスレジェンド重田さん」(844評)のPAだけあって、ぞくぞくと艶かしい音質で。

よっ、待ってました!

座布団に座った橘家文左衛門師匠はずいぶん強面。ドス。しかし芸人ならではの愛嬌もあって。骨格はがっしり。これが落語を生きてる者の存在感かぁ。

贔屓の客に寿司屋に連れて行ってもらった折、すすめられるまま生きた小魚がおよぐ小鉢を一気に口に入れたもののむせてしまい、鼻の奥で小魚がぴゅるぴゅると震え、、、という活きのいいマクラをふっておいてから出た第一声は

「植木屋さん、ご精がでますな、、、」

わっ!「青菜」だ!

自分が普段聞いている根多に生で出くわせることがこれほどまでに嬉しいとは!!

なにせ演目が事前に知らされていたわけではないのだから。

出入りする屋敷で旦那と奥方との奥ゆかしいやりとりを垣間みた植木屋が、自宅へ帰って自分のカカアとで真似しようとするのだが、、、という筋立て。

旦那のふるまいと植木屋がそれを真似たふるまいとの微妙な違いを演じ分けていたのが面白かった。扇子をあおぐにしても旦那は優雅なのに、植木屋はせわしない。奥を呼ぶため手を叩くにしても、旦那は貫禄があるのに植木屋はどこか間抜け。手を叩いて出てくる音はほぼ同じにしても。つまりどちらも録音物では味わえない、生ならではの味わいなのだ。

 次いで、コミカルな所作で畳み掛ける15分ほどの「寄合酒」、中入りを挟んで「らくだ」。

そうか!スミスが言うところの「荒っぽい人」が登場する、文左衛門アニキにうってつけの大ネタだ!


「らくだ」と渾名されるゴロツキが河豚にあたって死んでいるのを発見した兄弟分の「丁目の半次」が、たまたま通りかかった屑屋を恐喝&指図し、長屋中から香典をせびる、大家には酒肴を、漬け物屋には棺桶代わりの桶をせびる。それまで散々「らくだ」に迷惑をかけられてきた(無銭飲食、家賃を払わない等々)皆々は「らくだ」が死んだことをこれ幸いと喜びながら(←この噺の肝だと私は思う)も、誰が「らくだ」の弔いなどするかと屑屋を追い返す。それならば、と半次は一計する。「らくだ」の死体を彼らのもとへ運び、手取り足取り動かし「かんかんのう」を踊らすのを見せつければ誰もが気味悪がって「払う払う、たのむからやめてくれ」と従うに違いない、、、、


文左衛門アニキの「半次」、はまりっぷり見事。恐かったです。

「おめえ、じぶんのはらわた見たことあるか?」




告知。

まずは私から。11月にみすず書房から『落語の国の精神分析』という本が出ます。著者は精神分析医の藤山直樹氏。PR誌「みすず」の連載時から彼の筆運びは際立っていました。中井久夫、木村敏、北村修、、、精神分析医/精神科医には筆のたつ人が多いです。精神分析医の目で通してみる落語、ひいては人間にたいする洞察を皆様もどうぞご堪能ください。

スミスから。柳家喬太郎の実力を知るにはまずはYouTubeで「歌う井戸の茶碗」をご覧あれ(これは古典落語のパロディなので志ん生志ん朝などを聞いて地均ししておいたほうが良いだろう)。「東京ホテトル音頭」(ver.1ver.2)でも才気を感じてみて。とのことです。私もこれから見てみます。

はじめ亭しげたさんが開催する寄席の情報はHP「落語 津々浦々」からどうぞ。

12月1日の「春風亭百栄独演会」はなんと新栄のクラブMAGOで!
12月16日の「春風亭一之輔ひとり会」は千種のクラシック用コンサートホール5/R Hall&Galleryで!

どちらも音響への気配り、間口の広さをそなえたイベントになりそうですね。

最後に844。

彼が今月末に開くパーティー情報を、私宛の普段のメールから引用します(一部勝手に変更しています)。他の人に見られることを考えていないメールにして、このほとばしる熱量!

「HOLA!HOLA!(オラ!オラ!)」
@cafe domina  10/29  open:19:00~ charge:free

アニマラティーナ(ラテンの魂)というジャンル名で、ドミナを舞台に南米やラテンをバッハから宗主国スペイン、ポルトガル、奴隷として連れてこられたアフリカ、ブラジルの歌謡コンテストで優勝した経験のある「カルロストシキとオメガトライブ」など和モノを含む拡大解釈バージョンでやります。バッハの「ジーグ」という曲はイベリア半島からの影響があり西洋クラシック音楽と言っても純粋ヨーロッパ産ではなく混血、異文化が混じっていると大阪の中央公会堂へバッハのゴルトベルク変奏曲を聴きに行った時、ピアニスト高橋悠治さんは話してくれました。アニマラティーナ、これすなわち「自由」です。



若竹純司

2012年10月4日木曜日

SOLO PIANO Ⅱ

GONZALES のソロ・ピアノ作品の名作「SOLO PIANO」の続編「SOLO PIANO Ⅱ」の
アナログを手に入れたので休日にかけていました。


今作もすごく心地よかったです。
とてもリラックスして繰り返し聴ける作品だなと思いました。




りょうかん



2012年10月1日月曜日

ピクルス通信no.173 コウズカ!


500円という入場料でこれほど興奮した覚えはかつてありません。

 文化フォーラム春日井で開催中の「写真家 石元泰博」展を観てきました(アクセス方法)。

石元泰博(1921-2012)
農業移民の子としてアメリカに生まれ、3歳から両親の郷里高知で過ごす。高校卒業後、単身渡米して間もなく太平洋戦争がはじまり、収容所生活を経験。終戦後、バウハウスの流れを汲むシカゴのインスティテュート・オブ・デザイン(ニュー・バウハウス)で、写真のみならず、石元作品の基礎を成す造形感覚の訓練を積む。在学中にモホイ=ナジ賞を受賞。1955年にはエドワード・スタイケンによる伝説的な企画展「The Family of Man」で、日本人としてただひとり作品が選出される。その後、桂離宮のモダニズムを写真により見出した作品で高い評価を受けた(ワルター・グロピウス丹下健三との共著による『桂 - KATSURA ・日本建築における伝統と創造』)。享年90。


生前の2004年、石元氏は氏が所有する全ての写真作品(オリジナルプリント)及びフィルムを含む資料類を高知県に一括寄贈しています。

今回の展覧会は、高知県立美術館が所蔵する膨大な作品群のうち、「シカゴ シカゴ」「東京」「桂離宮」「伊勢神宮」「シブヤ、シブヤ」など代表作を中心に、1950年頃から2000年代に撮影されたオリジナルプリントを紹介しています。

代表作のハイライトを一気呵成に概観しつつも散漫になるのを免れているのは、全ての作品に一貫して「優れた造形感覚と知的で美しいモノクロームの表現」を感じることができるからでしょう。


 東京  街  1997年頃 ©高知県
シカゴ 街 1959-61 ©高知県

上に挙げたのは展覧会の冒頭に対で紹介される2枚です。

かたや1997年に東京で、かたや1960年頃にシカゴで、と時も場も隔てて撮られた2枚ですが、どちらも画面いっぱいに大きくXの字が走る構図になっています。

このように観るものが「対比」を楽しめる展示構成で貫かれており、キュレーションの魅力も感じられる展覧会でした。


それにしても石元作品にみる構図の見事さはどうしたことでしょう!

右の写真、ビル群の乱立を利用して整然とX字をかたどる構図など、いかなる目をもってすれば捕らえることができるのでしょう。

ひょっとして世界はこの写真家のために整えられたのか?という冗談めいた感想が作品を観ている限りは確信をもってしまうほどに、見事な構図の写真ばかりが並び、嘆息するのに暇がありません。

展示会場では次のようにな表現で石元作品を説明されていました。

一瞬のフレーミングのなかで対称やエックス型といった安定した構図をとる卓越した技術と、俯瞰とあおりなどの巧みなアングルの扱いによる圧倒的な調和を持った画面構成により、石元の作品は造形的とさえ、言われました。

造形的。なるほど、石元作品をばちりと捉える表現です。

インスティテュート・オブ・デザインで学んだのは写真技術ばかりではないという証左。

プロダクトデザインをはじめ、あまねくデザイン表現を愛でる方々にきっとや得難い鑑賞時間を与えてくれる写真群です。

彼の卓越した造形感覚は、日本の古典建築である桂離宮や伊勢神宮への眼差しでも露になっています。

桂離宮 古書院 1981-82 ©高知県
日本建築にこれほど幾何学的な美が見出せるとは。

モノクロームの写真は、色彩に注意を奪われることなく構図の特徴を伝えてくれるのですね。

(余談ですが、工藤栄一監督・片岡千恵蔵主演『十三人の刺客』(1963)を思い出しました。あれも日本建築のモダンさを強烈に感じさせるカメラでした。)

十三人の刺客 [DVD]
十三人の刺客



別室では石元がシカゴ時代に撮影した8分の映画「The church on Mawell Street」が上映されていました。

シカゴ・ブルースの聖地、マックスウェルで路上ミュージシャンや観衆が映し出されています。

歌う姿、踊る姿、陶酔する姿。

そういった人々の姿に、当時録音した音楽がのせられています。

ブルースというよりゴスペルでしょうか。にぎやか、とは違う、力強い生命力を感じさせる音楽でした。人と音楽とが乖離していない音楽。

そのなかには《聖者の行進》も。あまりに豊かな演奏でした。

この映画は収められていませんが、図録が1400円で販売されています。

1400円という図録代でこれほど、、、、


若竹純司